一生一人で生きるために本当に必要なものとは。『一人で生きる』荒川和久・中野信子

あなたは一生、一人で生きられますか。
そう聞かれたら、どんなに一人が好きでも戸惑ってしまうだろう。
しかし、現実にはそうなる確率は意外に高い……?
ーーー2040年には独身者が人口の5割になり、既婚者は3割になる。
そう分析するのは『超ソロ社会』(2015)の著者、荒川和久氏だ。
荒川氏は『超ソロ社会』においても、20年後には独身者の割合が半数を超えると予言していたが、脳科学者の中野信子氏との対談をおさめた『一人で生きる』でもその主張は変わらない。
荒川氏の研究によると、人間は、社会が安定的な状態になることで、集団で暮らすメリットが減り、個人主義になっていくという。
つまり、安全で便利な現代社会では結婚のメリットがないというわけだ。
確かに、現代社会はコンビニもあれば医療もある。お金を出せば施設で暮らせるし、男性用、女性用の風俗だってある。
困窮すれば生活保護というライフラインに頼ることもできる。
金銭的な問題や利用するしないはおいておくとして、一人で生きるためのインフラは、歴史上もっとも整っていると言って良いだろう。
対して結婚のメリットは、社会的信用という面でも、親戚づきあいなどの面でも、不倫・離婚などでSNSに無様な刻印を残すという意味でも減り続けていると言って良い。
若い世代で顕著に、結婚(恋愛)へのモチベーションは下がりつつある。
ちなみに、私にはティーンエイジャーの娘が二人いるが、二人とも「結婚はしたくない」らしい。
理由を聞くと「面倒臭そう」「責任が重そう」とのこと。出産に関してはもっと消極的である。
それでも、なぜ私たちは「一生一人でいいか」と言われると戸惑ってしまうのか。
それは、単純に経済的なリスクヘッジであるのと同時に、「孤独」というものへの恐れがあるからだ。
しかし、本当に孤独は悪いものなのか。
荒川氏と中野氏は孤独の良い面にも着目して論じている。
選択的に一人を選ぶことは、実はエンターテインメントであり、「贅沢な孤独」だ。
それにはストレスを減らす効果さえあるという。
例えばラーメン店の一蘭では一人でラーメンと向き合うブースがあり、一人時間を楽しむ仕組みとして世界でも注目されている。
だが、選択的に選ばない孤独、真の孤独はつらい。
恋人もなく、家族から離れ一人で暮らしていると、社会的に受け入れられていないという「絶望的な孤独感」がジワジワと迫ってくる。
これが心と身体を蝕む真の孤独である。
自分から選びたくない孤独、社会から隔絶されて味わうひとりぼっち感だ。
どんなに一人が好きな人でも、一度くらいはそんな「寂しさ」を感じたことがあるだろう。
これまでは、それを解決する手段として「結婚」が用いられることが多かった。
結婚することによって、家に人がいれば、物理的に孤独を消すことができる。
だが、調べてみると、「結婚」は、孤独の根本的な解決手段ではないことがわかる。
実は、離婚した男女の自殺率のデータをみると、男性には強い相関性がみられる反面、女性の場合には相関性はなかった。
つまり、結婚で孤独が癒されていると考えられるのは、主に男性だということである。
女性にとって結婚は孤独の受け皿ではないのだ。
女性はなぜ、離婚しても孤独にならないのか?
実は、孤独は、結婚ではなく、「ある物質」で解消することができる。
恋人や家族、ペットとのスキンシップ、身体的接触で出る脳内物質(オキシトシン)だ。
確かに結婚している場合、パートナーとの継続的な身体的接触がある程度、保証される。
が、女性の場合、それは結婚に限ったことではなく、たとえ離婚したとしても、友人や子供、動物とのふれあいの機会があるのではないか。
女性の所属するコミュニティ、従来のジェンダーロールから言っても、男性よりもふれあいの場が多いという可能性が高い。
女性同士の会話の場面だと、話している相手に軽く触れたりすることはよくある。
恋愛を求める男性たちが本当にほしいもの
しかし、男性の場合、接触を伴う関係性が家庭内(恋愛内)に限定されているのではないかと推測する。
また、本書の中で語られるように、恋愛にロマンチックな幻想を抱くのは男性であり、そこに身体的接触が結びついているがゆえに、結婚の失敗がオキシトシンの喪失に直結してしまうのかもしれない。
他にも興味深いのが、自己肯定感の低さが何に由来するかを調べたところ、男性は「モテないこと」、女性は「仕事で評価されないこと」が多かったというデータが示されている。
つまり、男性は恋愛市場において弱者になってしまうと、自己肯定感が著しく下がってしまうのだ。
女性の場合、なぜそこが下がらないのかが不思議だが、これも男性のほうが離婚でダメージを負う原因の一端であるだろう。
男性の孤独死を防ぐには、この恋愛至上主義をどうにかする必要がある。
そもそも恋愛市場ではモテる3割が何度も恋愛し、そのほかは機会がなければ残り物にもありつけない。
つまり男性は恋愛市場にいたってほとんどいいことはないのだ。
モテにとらわれればとらわれるほど、孤独感は高まり、不幸になる仕組みなのである。
まずは恋愛が占めている価値観から精神的に脱却し、オキシトシンの減少を、合法的なスキンシップを利用して解消することが、男性の離婚後の孤独死を大きく減らす具体的な施策だ。
人間らしく生きるために必要な「ユマニチュード」
ここで紹介したいのが、介護の世界の「ユマニチュード」という考え方である。
これは相手を「見て」「話しかけて」「触って」「立つ」ことで、人間らしさを取り戻すというケア技法である。
この技法を使うと、ずっと寝たきりだった老人でも見違えるほどに元気になり、歩き出すなどの奇跡のようなことが起こる。
「接触で生み出される人間らしさ」というものが、どれほど人間の元気・活力であるかということがわかる事例である。
これを、ソロ社会に活かしていくことは現実的な課題だろう。
つまり、生涯一人で生きていくと考える時、孤独に苛まれないためには、「見て」「話しかけて」「触って」「立つ」という状況が得られる場を継続的に確保できればいいわけだ。
ネットであらゆる場が検索できる今なら、そんな場所を見つけることは意外と簡単かもしれない。
今後さらにそのような社会的インフラが整備されていくことも予想されるし、そう考えると、案外一人で生きていくのも怖くはないと言える。
需要を見越して、もっと合理的で安全なふれあいの場を提供するサービスを始めれば、ネット婚活以上の市場規模に発展していくかもしれない。
超個人主義社会に潜む危険〜孤独は快楽を欲しがる〜
しかし、そんな超個人主義的社会を楽観視するのはまだ早いかもしれない。
本書では、孤独を癒す脳内の快楽物質は、集団で誰かを排除する時にも分泌されるということが示唆されている。
例えばネット上で誰かを叩いたりする時。炎上に乗じて自分の意見を公共の場で発する時。
自分が集団に属している感覚、そこで役割を果たしている感覚が脳内で快楽物質をスパークさせる。
そこで、私たちは別の楽しさ、人間らしさに触れてしまう。
他者への攻撃で快楽を感じるというのは人間の本能のひとつ、シャーデンフロイデなのだ。
他者との優しい接触で得られるオキシトシンよりも、強い快感であるアドレナリンが、いっとき孤独を打ち消してくれる。
しかし、振りかざしたのものが、たとえ正義であったとしても、それは誰かの命を奪いかねない諸刃の剣である。
超個人主義にまとわりつく孤独は、ハグあふれる社会ではなく、透明な剣の乱舞する世界を生み出すかもしれない。
超孤独社会は幸せな人類の晩年か。
超ソロ社会が到来した時、「孤独」もまた大量に到来する。
数多の個人が、その孤独をどうやって解消していくかで、未来は変わる。
私たちは本当に、一人一人が幸せな孤独を手に入れられるだろうか。
自分にあう場所をみつけ、うまく孤独を解消していけるだろうか。
しかし、結婚以外のシステムで孤独が解消され得ることを知った時、そのシステムがうまく回り始めた時、人類は幸せな晩年を迎えるのかもしれない。