『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』 ステファニー・スタール

〜赤ん坊に奪われる身体、母親という隷属〜
「かわいい赤ちゃん」が剥奪する母親の人権について。
『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』。
この本は著者ステファニー・スタールが、自らの結婚、出産、育児にあたり、フェミニストとしてのアイデンティティの危機に陥り、歴史的なフェミニズムの本を読むことで、その思想を再考し、自らの問題と向き合っていくという内容だ。
欧米のフェミニズムの名著が紹介され、彼女自身がそこから新たに感じたこと、学ぶべきことが記されるので、フェミニズムの歴史を学びたい人にはぴったりの内容となっている。
だが、この本が紹介しているのは、フェミニズムの名著だけじゃない。
私たち現代女性が直面する、人生最大のアイデンティティ危機について言及している。
先ほどもちょっと言ったが、それは出産による、赤ちゃんからの自我剥奪である。
私は、それこそが、現在語るべきフェミニズムの最大課題だと思っているし、今後、それについて考えていける場を作りたいとも考えてもいる。
____________________
★『読書する女たち』で紹介されている本一覧
本題に入る前に、この本で紹介される本とその著者を出てくる順に並べてみたので、フェミニズムの発展を知りたいという方は、ぜひ読まれたし。
- ベティ・フリーダン『新しい女性の創造』
- エレーヌ・ペイゲルス『アダムとエバと蛇ー「楽園神話」解釈の変遷』
- ヴィビア・ペルペトゥア『ペルペトゥアの殉教 ローマ帝国に生きた若き女性とその死』
- メアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』
- ケイト・ショパン『目覚め』
- シャーロット・パーキンス・ギルマン『黄色い壁紙』
- ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』
- シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』
- シュラミス・ファイアストーン『性の弁証法 女性解放革命の場合』
- ヘンリー・ミラー『セクサス 薔薇の十字架刑』
- ケイト・ミレット『性と政治学』
- アリエル・レヴィ『男性優越主義の女』
- エリカ・ジョング『飛ぶのが怖い』
- ケイティー・ロイフ『翌朝 セックスと恐れとフェミニズム』
____________________
ステファニー・スタールは70年代アメリカに生まれ、90年代に学生時代を過ごした女性だ。
つまり、ある程度フェミニズム思想が行き渡った現代に生きてきた。
読んだ限りでは、2021年を生きている私たちとさほど違うとは思わない。
個人的な話になり恐縮だが、90年代からゼロ年代にかけて学生時代を過ごした私も、特に教育の場では、男女差別を感じたことなどほぼなかった。
家庭科も技術も、体育も、ほとんど男女平等の思想を基に行われていると感じられた。
細かいことを言えば、例えばクラスの代表を決める時に、委員長は男で副委員長は女、みたいな暗黙の了解はあったにせよ、そうでなくても批判されたりはしなかった。
ちなみに、私の娘の時代(2010年代)になると、このような暗黙の了解すらほとんどないようだ。委員長も生徒会長も女の子が務めることに全く抵抗はなくなっている。
これらは前述したようなフェミニストの戦士たち、そして市井の女性たちが声をあげ、女性の権利を勝ち取ってきた成果といえる。
この本を読むと、その遍歴、彼女らがどのような問題をどう訴えて戦ってきたのかということがわかる。
それはとても面白く参考になるのだけれど、今回私が取り上げたいのは、この本が提示する別の問題だ。
それは、著者ステファニー・スタールが直面する「個人的な危機」である。
現代女性が直面するアイデンティティ危機
身体的な隷属に現代女性は耐えられるか?
著者ステファニー・スタールがフェミニズムを考えることになったのは、出産とその後すぐの育児が始まった時である。
ここまでの彼女は順風満帆。大学で高い教育を受け、キャリアを築き、大好きな人と恋愛して、自分の意思で結婚する。夫は彼女を尊重し、お互いに思いやりを持って暮らす。
これこそ、過去のフェミニストたちが望んだような人生だ。
現代に生きる私たち女性には、多くの自由と権利が認められていることは間違いない。
しかし、それでも、彼女には危機が訪れる。
そのシーンに関わるのは男性ではなく(間接的には関わるが)、赤ちゃんだ。
現代女性の人生は、赤ちゃんが入り込むことで躓き、危機を迎える。
私もまた、彼女と同じ経験をした一人だし、多分、育児を経験したことのあるひとなら誰もが、多かれ少なかれ、この危機に直面していることだろう。
一体どうしてこの時期に危機が訪れるか。
それは出産後、女性は赤ちゃんの奴隷にならなければならないからだ。
赤ちゃんの奴隷というと、なんだか可愛らしくて微笑んでしまいそうになるが、これは比喩ではなく、本来の意味での奴隷だ。
自分の体を自分の自由に使う権利を、赤ちゃんに奪われるのだ。赤ちゃんの生存のために自我を捨て、機械として生きなければならない。
子供が泣くと自動的に張る乳房に脅威を感じた女性は多いと思う。
これまでずっと、自分のために使ってきた体が制御できない何かになってしまう瞬間だ。
母乳を与えると、食いちぎられる勢いで乳房を噛まれ、8時間だった睡眠時間は3時間おきに細切れになり、泣き声におびえ、物音がすれば飛び起き、言葉がつうじない相手に何度も微笑みかけなければならなくなる。
その時に必要なのは、自我ではない。むしろ、自我は捨てるべきものなのだ。
出産前まで、確固とした自我を持ち、自分らしく生きるために成長を続けてきた女性たちには、耐えられないほど過酷な試練である。
これまで、学べ、考えろ、表現しろ、と言われ続けてきた数十年を強制的に覆される。
自我を捨てろ、乳を出す機械になれ。名もなき母親マシンになれ。
生まれたての赤ん坊は母親に要求する。
これまでと矛盾したメッセージに、私たちの自我は揺らぐ、崩壊寸前に追い込まれる。
この辛さは、自我を重んじる教育を女性が受けてきた現代だからこそ、強調されるべき苦しみではないか。
また、さらに追い討ちをかけるのがそれこそが母親の幸せと決めつける世間の目である。
自我を殺し、必死に毎日をやり過ごしている地獄の日々に「今すごく幸せでしょう」と言われる絶望は、この苦しみを経験した人にしかわからないだろう。
たとえ辛いと漏らしても「お母さんなのだから、それくらい我慢しなきゃ」と言われるのが関の山だ。
そういうことを言いたいんじゃないのだ。この辛さは、単に睡眠不足だからではない。おっぱいが痛いからでもない。
私たちの自我があげる悲鳴なのだ。私たちは今、人権を奪われています。助けて、助けて、助けて!
この時に必要なのは、育児の手助けでもなんでもない。
ケアだ。傷ついた自我をなぐさめるケアが必要だ。
奴隷や捕虜となった人が受けるような、PTSD治療のようなことが必要だと私は思う。
実際、この無理矢理自我を殺す期間のせいで、母親たちのメンタルがズタボロになったり、産後うつを発症したり、自我を生涯にわたって失ったりすることがある。
「産後の恨みは一生」なんて言葉があるが、この奴隷期間に夫が妻のメンタルをケアしなければ、一生恨まれることになるだろう。
いや、妻が奴隷になっているのに気づかない夫なんて、恨まれて当然だ。
つまり、赤ちゃんへの隷属期間は、妻自身またカップルにとってその後の人生に影響を及ぼすほどの危険な期間なのである。
母親になった女性に必要なプログラム
では、この問題についてフェミニズムはどう取り組んだらいいのか。
私は、この隷属期間に女性の自我の喪失を防ぐプログラムがあれば良いと思う。
女性の出産に関しては、産後のキャリアの断絶はよく問題になるが、このアイデンティティの剥奪についても、同じくらい重要視されるべきだと思う。
この本の著者は、フェミニズムの本を使うことで、自我を継続させることに成功した。
しかし、これはたまたまフェミニズムだっただけで、実際には、もっと別のものでも良かったのではないかと私は思う。
具体的に考えるなら、赤ちゃんに隷属する身体と脳から一定時間抜け出し、これまでの自我を継続するとともに、母親という新たな自我とスムーズに融合させられるようなワークショップなどがあれば、良いかもしれない。
出産育児を経験したものとして、フェミニストとして、現代女性の出産に伴う自我継続のため、基本的なケアが整備されるべきだと思っているし、今後そういう場が作れればいいなと本気で考えている。
まとめ
フェミニズムが女性の生き方を考えるのならば、出産というものが、単に育児の労働という意味だけではなく、自我の剥奪という形で私たちの人生を奪うことに気づき、そこをフォローする体制を整えるべきだと思うのだ。
赤ちゃんはかわいいけれど、ワガママな専制君主である。
今こそ母親になることへの喜びや賛美と、隷属する辛さは切り離して考えられるべきだし、後者については手厚くケアされるべきだ。
母親への人権の付与、それは赤ちゃんに遠慮している場合ではなく、すぐにでも必要なものだと私は思っている。